2019.8.17
竹村美咲(元INAC神戸 現INAC神戸フロントスタッフ)
それでも私はサッカーが好きだ。

私は父や兄の影響で、6歳から本格的にサッカーを始めた。兄とは5歳違い。小さな頃から週末は兄のサッカーを見にいき、ボールと遊ぶという日々を送っていた。物心ついた頃にはもうすでにボールを蹴っていたそうだ。そんな私のこれまでの生活の中にはいつだってサッカーがあった。

小学生の頃は地元の少年団のチームに入り、男の子の中に混じってサッカーをした。小学3年生の頃に女子チームにも入り、男子と女子の掛け持ちでサッカーを続けた。そんな私は少年団のチームの卒団式で沢山の人の前でこんなことを宣言していた。「私は将来、なでしこジャパン(日本代表)になります」当時の私はまだ12歳だ。今考えるとすごいことを言っていたんだな。と自分でも驚くほどだが、今思えばあの頃から自分の夢はずっと、なでしこジャパンになることだったのだと思う。中学生の頃は小学3年生の頃に入ったチームのユースチームにそのまま上がった。その頃の私は大怪我とは無縁だった。数年後にこんなことになるなんて自分自身想像もしていなかったし、誰も想像していなかっただろう。高校生の時はクラブチームではなく高校サッカーを選択した。高校に入って1ヶ月がたった頃、遠征先の練習試合で私は人生で初めての大怪我を経験する。あの時のシーンや、骨が折れたようなボキボキッという音は今でも鮮明に覚えている。病院で診察してもらった結果は、「右膝前十字靭帯断裂、半月板損傷」という大怪我だった。初めてのことで、右も左も何もわかっていなかった。約8ヶ月のリハビリを経て無事に復帰しサッカーを楽しんでいた矢先、またもや私は逆足の「左膝前十字靭帯断裂、半月板損傷」を経験する。病院の診察室で診断結果を言われ診察室から出た瞬間、泣き崩れたのを覚えている。そこからまたリハビリをし、高校3年生になってやっとサッカーができるようになった。高校でまともにサッカーができたのは3年生の時の1年間だけだった。サッカーをzできることがただただ嬉しくて、楽しかった。沢山の人のおかげで高校生最後の全国大会は夏も冬も優勝し、その舞台に立つことができた。

私1人の力ではこの舞台に立つことはできなかったと思う。沢山の人に恩返しができたと実感したと同時に、何にも代えがたい喜びを覚えた。そんな私は高校3年生の時に初めてアンダーカテゴリーの代表にも呼んでもらえるようになっていた。日本を背負って闘うことの重みをすごく感じた。あのブルーのユニフォームはきっとずっと特別だ。高校卒業後は、INAC神戸に入団した。憧れていた世界に足を1歩踏み入れた私は、着々と自分の思い描いていた未来を歩んでいると信じて疑わなかった。

でも神様はとても意地悪だった。

入団2年目の夏、私の身体は悲鳴をあげ、走れなくなった。診察を受けた結果は、両膝共に「前十字靭帯機能不全」だった。(前十字靭帯が断裂しているのと変わらない状況だった)もう嫌だ。なんでまた。なんで私だけ。ただただサッカーがしたいだけなのに。どん底だと思った。それでも私はまだサッカーがしたかった。諦めきれなかった。今まで大事にしてきたモノを捨てることはできなかった。だから闘うことはやめなかった。何度も何度もリハビリしては手術の繰り返し。それでもサッカーができる。そう自分に言い聞かせていた。そして2018年の秋、私は5度目の「前十字靭帯断裂」という診断を受けた。

『当たり前とは何か』

「もう現役としてサッカーはできない。また、サッカーができるようになるかはわからない。」

はっきりとそう言われた。何もかも失ったと思った。絶望した。何のために生きているのかさえわからなくなった。

怪我をしてつくづく考えさせられたのは、「当たり前とは何か」ということだった。サッカーができることが当たり前。走れることも、ボールを蹴れることも何もかもが当たり前。そんな当たり前なんてどこにもないことを目の当たりにした。経験して初めて、当たり前なんてきっとどこにも存在はしない。そう強く実感した。生きていることも当たり前ではないのだ。

幼い頃からの夢だった、憧れていたあの舞台に立つことは1度もなかった。夢を叶えることもできなかった。怪我をしたからこそ学べたこと、気づけたことも沢山ある。そのおかげで出会えた人たちもいる。それは私にとって間違いなくプラスだった。それでも私は「怪我をしてよかった。」とは1度も思わない。もし人生が選択できたなら、今まで得てきた沢山のモノを投げ捨ててでも、私は迷わず怪我をしない人生を選択しただろう。今すぐにでもサッカーがしたい。何も考えずに、ボールが蹴りたい。だけど、私にはもう夢を叶えることはできない。現役としてサッカーをすることもできない。諦めるという選択肢しか私にはなかった。あの時こうしておけば。あの時、怪我していなければ。今頃考えても、もう遅い。そんな後悔たちは、この先一生消えることはないだろう。それでも私は「サッカーをしてよかった」と心底思う。

今までの私は、サッカーしかない。と思い込んでいた。だから、何もかもを失った。絶望だ。何のために生きているのかわからない。そう思っていた。そんな私はいろんな人のおかげで、自分が色眼鏡をかけて世界を見ていたことに気づかされた。色眼鏡を外した世界はとてつもなく広かった。私は現役引退を決断し、サッカー選手になることを諦めた。そして第2の人生を歩むことを決断した。いわゆるセカンドキャリアというものだ。世界が広いことを知った私はサッカーのある世界から離れようかとも考えた。逃げたかった。何もかもを投げ捨てたかった。ただただその世界にいることが苦しかった。夢を叶えられなかったという現実に、サッカーができないという現実に、諦めるという選択肢しかないことに目を背けたかった。どこにも、誰にも、何にもぶつけることのできないあの感情は、今までの私の中で1番苦しいものだった。それでも私はサッカーの世界で、その現実と、その感情と、自分と向き合うことを決断し、全てを受け入れる覚悟を決めた。なぜならば、サッカーが好きだからだ。

「頑張ることも挑戦なら、受け入れることも、諦めることも挑戦だ」

って誰かが言っていた。だから私は挑戦を、闘うことをやめはしない。これから先もずっとだ。今の私の仕事はINAC神戸のフロントスタッフだ。この世界のことを知れば知るほど面白いと私は感じる。ここでもサッカーができることが当たり前ではないと改めて強く実感した。今までの「挑戦」や「失敗」や「経験」をプラスにできるかはこれからの自分次第だと私は考える。大事なのは選択した後だ。その選択を良くするのも悪くするのもこれからの自分の行動だ。後悔を後悔のまま終わらせはしない。「学び」を「経験」に自分で変換していくのだ。だからこそ、今の私は自分の人生の中にサッカーがある人生を選択し、色んなものとこれからも闘うのだ。人生にもサッカーにも、どんな時も、誰にだって物語がある。その物語の「主人公」はいつだって「自分」なのだ。

私の膝が元通りに治ることはない。

それでも私はこの先もずっと胸を張って「サッカーが好きだ」と大声で叫ぶ。

私の物語はまだスタートしたばかりだ。